他人と食事ができない病気

当然のことですが、時代が変われば、新しい病気も登場します。しかし、この病気は、にわかに信じることのできない人が少なくないでしょう。その名は「会食不能症」。

会食不能症は、食事を摂らなくなる「拒食症」とは違います。家族との食事や、一人で食べるのは問題ありません。また、周りが知らない人ばからりなら、外食だってできるのです。

職場の人や学校の友人、異性らと一緒にする食事ができないのです。知り合いの人と面と向かったり、椅子を並べたりするのが、恥ずかしくて苦痛きわまりないのです。

とても食べ物がのどを通らない。「まるで拷問のようだ」と訴える人もいます。会食の機会を避けるようになるので通常の食行動が制限され、人との付き合いが狭まりがちになってきます。

会食不能症は、家族で食卓を囲むことが少なくなったことで現れてきた対人恐怖症の一種です。不安の少ない人から順に会食することで、少しずつ克服していくのが治療法の早道と言われています。

若い男性に多い会食不能症

会食不能症に悩まされている人の大半は、若い男性です。「みんなと食事するより、一人で食べるほうが気楽」という程度の軽い症状なら、自然に治ることもあるようです。

しかし、会食不能症も度を越すと社会生活に支障が出てきます。ひんぱんに会食しなくてはならない営業職に配置換えになって悩み、精神科や心療内科を受診する人もいます。

20代の男性で、好きな女性ができたが、デートはいつも昼食後から夕食前までに限定され、コーヒーを一緒に飲むことすら避けたため、振られてしまった。とういうケースもあります。

独りぼっちで食べる「孤食」が増えるにつれ、食事が単なる栄養手段のエサになっているのではないか、という指摘もあります。確かに食事は、一緒に食べる人や会話によって、おいしくもなればまずくもなります。ここが動物のエサとは決定的に違うところでもあります。

駅のホームや車内、あるいは街中を歩きながらパンやおにぎりをパクついている風景を見かけることがあります。以前なら、こんな食べ方こそ「恥ずかしい」と思ったものですが、まったく人の目を気にしない若者像を思い浮かべると、この病気が現代社会の深刻な病理にも思えてきます。

崩壊進む日本の食文化

私たちの食生活はここ数十年で、大きく変わりました。ファストフードやファミリーレストランの隆盛。加熱するだけでよいレトルト食品や半調理食品、調理済み惣菜を家に持ち込んで、短時間に食事の支度をする「中食(なかしょく)」という新語も生まれました。外食と家庭の手作り料理の中間という意味ですが、弁当、おでん、おにぎりから、おせち料理までコンビニで手に入るのです。

食生活の変貌の原因は次のような点ではないでしょうか。

時間的なあせり

急激な社会の変化によって料理を作ったり、ゆっくり味わったりする時間がなくなり、安易な食事で妥協している。

選択能力のまひ

手軽な食べ物が巷にあふれて、料理しなくても困らなくなった。反面、何を食べていいのか、選ぶ手間がストレスになる。

健康の矛盾

人工的な食べ物への根強い不信感があり、健康不安が増加している。

家族の崩壊

個々の生活スタイルが孤立していくにつれ、一緒に食事する機会が減っている。

「家族とゆっくり食事を楽しみたくても、できなくなっている」多忙な個人主義国ニッポン。おいしい食事を分かちう合う喜びや、手料理を振る舞う楽しみがしぼんできているのでしょうか?